メモ・その2

http://www.tokyo-np.co.jp/00/stm/20060726/lcl_____stm_____003.shtml
県平和資料館運営協が会合 『従軍慰安婦』の記述、結論先送り


県平和資料館(東松山市)にある年表の「従軍慰安婦」の記述について、上田清司知事が「間違った記述で、訂正しなければならない」と発言したのを受けて、同館の運営協議会は二十五日、対応を検討する会合を開いた。「従軍慰安婦」に関しての結論は、十月中旬に予定される次回以降に持ち越された。
会合では、一九九三年の開館以来、年表に記載されていた「南京大虐殺」に関する記述と写真が、館の判断でテープで隠されていたことが明らかにされた。これについて、同館側は「外部からの圧力ではない。写真の客観性が担保できなくなった」と説明したが、委員からは「さまざまな議論がある展示の修正については、協議会に諮るべきでは」と批判があった。
運営協議会は、館長が任命した学識経験者や教育、市民団体の関係者ら十四人で構成。運営方針などについて通常は年二回開催している。今回は上田知事の意向を踏まえ、異例の臨時開催となった。
上田知事は六月県議会で、年表の中の「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」という記述に関し「慰安婦はいても従軍慰安婦はいなかった。自虐史観になっていないか、きちっと検討しなければならない。協議会で見直しをしてもらいたい」と述べていた。
協議会の会合では、委員から「従軍慰安婦問題は過去の協議会で論議されているはず」「県立の館なのだから、国の見解と乖離(かいり)した展示をするべきではない」などの意見が出た。協議会会長の森田武埼玉大教授は「次回以降、議論いただくが、従軍慰安婦についての考え方はさまざまで、客観的に慎重に進めたい」と結論を急がない考えを示した。
(太字は引用者による)

「外部からの圧力ではない」って言葉にNHKの自主規制を思い出しますな。「直接の圧力」こそないが、「外部」の意図を先回りして汲んで自主規制するということは、結局「外部」に尻尾を振る行為に他ならない。へたれ。
写真の客観性が担保できないのなら、例えばその旨注釈をつけて展示することも可能だろう。記述も含めてただ隠してしまうということは、その事件をなかったことにしてしまうのと同じことである。なかったことにしてしまうことが「外部」側の思惑であることは明らかなのに。
南京事件従軍慰安婦については、政府の見解としてその事実があったことを認めているのだから、上田氏個人がどういう認識を持っているにせよ、埼玉県知事としては国の見解に沿うべきであろう。批判を受けるリスクを覚悟の上で個人的な主張をするのならそれはそれで。でも、それって↑の例みたいに公僕としての立場や職務に忠実じゃないってことで処分の対象とかにならんのかね。