東京新聞11月8日社会面をメモ

故美山要蔵氏の手記の要旨は以下の通り。
終戦の悲しみの最中に南さん(南次郎元陸相)に会ったとき「この大戦の責任者たる陸軍は聖戦の意義を後世にのこしておかなければならない。方法は二つある。第一は議会で陸軍大臣が堂々と侵略戦争でないことを述べるのである。そうすれば中外(内外)の新聞、ラジオ等によって永遠に記録されよう。第二は戦争裁判を堂々と受けて法廷でこれを強調するにある」と言われた。
しかるに終戦直後の議会で下村(定陸軍)大臣は「衷心から陸軍は国民に対してすまん」と一言わびてしまった。これで国民の対陸軍感情は一挙に好転したが、後世に聖戦の意義を伝えるわけにはならなくなった。のこす道は一つのみ。私は八月終わりごろ突然東条さんを用賀の私邸に訪問した。
東条さんも夫人もともに大変よろこんだ。昼時だったので五目ずしをごちそうになった。庭の松の木の下でいろいろ話された。そのとき特に語調を強めて言われたのは次の通りだった。
「大臣に次のことを伝えてくれ。第一に皇徳を汚すなと言うこと。第二に皇臣たるに恥じぬこと。自分は皇臣として敵の裁判を受けない」
私は困ったと思った。終戦前後、私が仕えた阿南(惟幾陸軍)大臣等、自決された人が多い。東条さんもこれだと直感した。東条さんはさらに「君は高級官僚として靖国神社のことをつかさどって終戦前後国事に倒れた人も、また戦災で亡くなった人も合祀(ごうし)するよう努力してくれ」と言われる。いよいよ間違いなし。
最後に「連合軍が戦犯者の名前を発表したらすぐ知らせてほしい」と言うので、間違いなく自決されるものと判断した。しかし東条さんの気質を幾分でも知っている私としてはその場では翻意を頼まなかった。
(東条氏は自殺に失敗したが)東条さんの名定まるのは棺を覆って数十年、数百年後であろう。
(朝日新聞の「天声人語」が東条氏を批判するが)東条さんのことについての批判、観察等は既に十分すぎるほど出ているが、真正のものは長い年月を経て中外の圧迫から解放された後に俟(ま)たねばならない。
東条さんは戦争裁判において、存分に陳述の機会を与えられ、この機会を十分に利用された。東条さんの個人弁論の最終日、昭和二十三(一九四八)年一月に傍聴しているときキーナン検事との応答が実に胸の空く感じを全法廷に与えたことは事実である。
東条さんが戦争したのは間違ったことではないと考える、正しいことを実行したと思うと述べたのに対し、キーナン検事が最後に「それではもし本審理においてあなたが無罪放免となった場合には再び同じようなことを平気で繰り返す用意があるというのですね」と尋ねたのに、東条さんは何とも言わず姿勢を崩さす泰然としておった。
東京裁判の記録は今後いくらでも出るだろう。それによってわが国は天皇制が護持され、また戦争遂行が真にやむを得ざるに出(い)でた自衛戦であることが現在及び将来の幾億兆の全世界の民心に長く闡明(せんめい)されたのである。
東条さんの自決不成功の悲劇によって。
(太字の個所は、美山氏本人が線を引くなど強調した部分)

【解説】「東京裁判否定」合祀の背景に
故美山要蔵氏は陸軍大学を出たエリート軍人で、旧厚生省で援護行政に携わってきた。同省が、東条英機元首相らいわゆる「A級戦犯」の名簿を靖国神社に送った当時は退職していたが、戦犯を裁く東京裁判を否定する考えは部下に引き継がれたといわれる。見つかった手記は、その美山氏の考えを知る材料に満ちている。


美山氏が戦後間もなく東条氏を訪ねたのは、戦争の意義を後世に伝えるために、自殺されては困るからだったという。
東条氏は自殺を図るが失敗し、期待通り東京裁判で「戦争をしたのは間違っていない」という趣旨の主張をする。「実に胸の空(す)く感じ」。美山氏はそう感想を記し、東条氏が生きていたおかげで日本の戦争の意義が広く伝えられたと評価した。
別の著書に「支那は日本の恩義を忘れて、排日侮日の限りをつくした。その結果が満州事変となり、支那事変(日中戦争)となった」というくだりもあり、美山氏が一連の戦争を「聖戦」と考えていたことが分かる。
大義ある「聖戦」ならば、東条氏らは国家のために殉じた「英霊」で、靖国神社への合祀(ごうし)は当然のことになる。旧厚生省援護局が「A級戦犯」合祀を手伝う背景には、そうした美山氏に代表される考え方があった。
他方、美山氏は遺骨収集や引き取り手のない遺骨を納めた東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑の整備にも力を尽くした。
戦争の指導者と末端の兵士たちの両方の面倒を見続けたのは、良くも悪くも戦前の価値観に行き続けた元大佐なりの、戦争責任の取り方だったのかもしれない。

「同じようなことを再び平気で繰り返」されてはたまらないし、そんなことで「胸の空く」思いをされてもなあとは思うが。もちろん「聖戦」の主張には賛同しない。まあ、この人はこの人なりの考えでこの国が好きだったんだろうな、と思わなくもない。ただ、「間違っていた」と思っていなければそもそも「反省」もないのだろうな。