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子供の頃、好き嫌いしたりすると「外国ではご飯を満足に食べられない子供がいるのに」と怒られた記憶があるけれど、自分の好き嫌いと外国の子供のご飯と、リアルなのはもちろん自分の好き嫌いであり、外国の子供を想像しないわけではないけれど、だからと言って自分の好き嫌いのことを我慢しなければならないとも思えなかった。それとこれとは別だ、と。
今、なんとなく感じているのは、きっとこんな気持ちなんだろう。もちろん子供の頃に通用しなかった理屈*1が、今になって通用するとも思えないが。
ともあれ、もうしばらく考えてみよう。

*1:「通用した」ではないところが親の理不尽を感じさせるところ