きちんと説明しようとすればするほどはまる泥沼(汗)

以下は http://d.hatena.ne.jp/nenecoconeneco/20041119 の id:mojimojiさんのコメントより

# mojimoji 『こんにちは。女性問題はほんとむつかしいですが、それでもやっぱり「女性がいることで職場が明るくなったり、業務が円滑に進んだり、そういう意味で「女性の武器」が発揮されるのなら、それはそれで良いのではないかと」といったあたりは、まだヤバイように思います。それを「良い」というのは男の側の話であって、当の女性にとってはどうなのか。
女性的に振舞うことが自然にできる人にとってはそういうこと(つまりは、男性ばかりの集団で期待される女性らしさをかもし出すこと)は平気なんでしょうけど、そうではない女性にとってはこれは苦痛極まりない構造なわけです。(と、僕は男性ですが、そのように想像してます。だって、女性ばかりの集団で理不尽に男性役割を要求されることの苦痛を裏返しにすれば、ちょっとくらいは想像できますよね。)
この問題って、どうしても難しいし、やはり語り方難しいけど、せめて構造問題として語るべきで、その構造の中で振舞うしかない個々の女性を論評しても詮無いことではないかと思ってます。』 (2004/11/26 15:51)

まずはコメントありがとうございました。で、コメントいただいたこと、すっかり気がつきませんでした。申しわけありません(さっき気がつきました。おまけにこちらのコメントが「はじめまして」だったんですね。重ね重ね申しわけありません)。

そんなわけで泥沼にはまっています。
まず、こちらの書き方に問題があり、「男の側の話」と取られてもそもそも反論の余地なしですが、「良い」というのは「男の側の話」というより「僕の話」であり、「自分はこう考えている」ということでしかないことを「世間一般の考え方はこうである」的に語るようなつもり*1は毛頭ありません。
また、女性に「職場を明るくしたり、業務を円滑に進めたり」するために「女性の武器」を発揮することを期待するつもりもありませんし、苦痛に思わない人もいるという理由で、「苦痛に思わない人がこんなにいるのに苦痛に思うなんてどうかしてる」などと言うつもりもありません。
もともと「女性の武器」云々の発言自体、話の流れからそうなっているだけで、「男性が男性の武器を発揮」でも、「そういうのが得意な人がそういう能力を発揮」と言い換えても構わないと言うか、ある人が「自分らしい生き方」をしているのならそれが「男らし」かろうが「女らし」かろうが、一向に構わないと思っているんですけど…。
「職場の男女の価値観が一致し、職場が明るく、業務が円滑に進むという幸福な状況が結果としてあるならば、それはそれで」という考え方が、「そうではない女性にとってはこれは苦痛極まりない構造」を追認するような発言になっているのだろうか(もちろん肯定などしないけれど)、「ちょっとくらいは想像できますよね」と言われてしまうとツラいところです。幸福な状況も不幸極まりない状況も、多分どちらも現実として存在するから。
何者に対しても全くの公平で、誰からも不満がないというのもあまりありえない話(そうありたいと思う反面、それはある意味、全てに対して無関心であることに近いとも思う)であり、自分もそのような完全無欠な物差しを持っているわけではないので、結局のところ「自分基準に偏った」モノの見方をしてしまうわけだけれど…
…なんでこうなちゃうのかな、とは思います。これが差別意識というものなのかなあ…と。

*1:例えば、明石家さんまが彼の番組で、「男はみんな…と思っている」とか語るような時、「それはお前とお前に価値観が近いヤツがそう思っているだけだ。少なくともオレはそう思っていない。一緒にするな。」などとTVに向かってツッコミを入れる方だったり。