メモ・複数形の思考

東京新聞2/26生活面「ひろさちやのほどほど人生論」より


わたしたちはよく、「俺とおまえのどちらが正しいか、ひとつ白黒つけようではないか」と言います。これは複数形の思考法ではありません。二人の意見がともに正しいことのほうが多いのです。
それに白黒つけるというのは、百点か零点かといった考えに立脚しています。しかし、そんな極端な場合は滅多になく、たいていの場合は、七十八点か七十二点ぐらいの差です。それであれば、むきになって論争する必要はありません。どちらでもいいと思えば、対立はなくなります。
いま、アメリカという国は、自分たちが正義であるとして、イラクを痛めつけています。それは複数形の思考ができないからです。なるほど、アメリカ人の主張する正義はわかります。けれども、正義は一つではないのです。イラクにはイラクの正義があり、日本の正義もあれば北朝鮮の正義もあります。自分だけが正義だと思っていると、話し合いの余地がなくなり、問題解決が不可能になります。


そしてわたしたちは、さまざまな正義が衝突するかのように思っていますが、よく話し合ってみれば、複数の正義が共存できるのです。その場合、話し合う双方が、相手の意見と自分の意見が共存できるのだとしっかり信じている必要があります。つまり、複数形の思考ができていないと、話し合いは成功しないのです。
(太字は引用者による)

「双方に『複数形の思考』が求められる」わけで、その部分が実際のところハードルが高いわけですね。