疲れと癒しと宗教と感動とワイシャツと私

宗教色強める米TV(東京新聞本日付けラテ欄より)


「ペアレンツTV協議会」の調べでは、地上波局のゴールデンタイムの娯楽番組で、一昨年秋から昨秋に「神」が引き合いに出された回数は二千三百四十四回と、一九九七年度と比べると三倍増となった。

「政権の意向に沿ったメディアの右傾化」というようなメディア側からのアプローチなのか、視聴者が求めるモノに局側が応えているのか、その両方なのか、どちらでもないのか。同じく東京新聞の社説・発言欄のニュースメモ>先週の言葉から「キリスト教の信仰に基づく銀行のリプカ副社長」の発言。

顧客も従業員も疲れている。神によって癒やされたいのだ。イエスは大工をしながら教義を広めた。2000年後に私も同じことをやっているだけ

後半はどうでもいいんだけど、前半は現在の米国人一般にもあてはまるのではないか。米国人は疲れている。だから神によって癒やされたいのだ。日本人一般も疲れているはずだが、そんな「神」はいないので(多分)、「感動」や「涙」によって癒やしてもらうのだろう。「感動をありがとう」ってか。何が、そして誰が、我々を疲れさせているのだろう。