「誰かの」じゃない「みんなの」歌を歌いたい

http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200406270117.html
「風考計」 君が代と皇室 千代に八千代に続くには


1881(明治14)年発行の音楽教科書『小学唱歌集初編』に載った「君が代」には、なるほど2番がある。「きみがよは 千尋の底の さざれいしの 鵜(う)のゐる磯と あらはるるまで……」。歌詞はまだ続くのだが、何と1番にも「こけのむすまで」の続きがあるではないか。曲も違う。似て非なる君が代だった。
同じ頃にできたもう一つの君が代天皇をたたえる歌として広まり、事実上の国歌になっていく。そこに2番はなかった。

なんと、君が代には別バージョンがあり、「苔のむすまで」の先があり、しかも2番があった。びっくり。内容はほぼ1番と同様だけど(陸地と海との違いか)。続きはどんなものだったんだろう。

読売新聞は社説で「われわれは、この新生日本にふさわしい新しい国歌を要望している」「歌わされるものでなく、歌いたくなるものが作られなければならない」と書いた(1948年1月25日)。
ジャーナリスト伊波新之助さんは、 (略) 「君が代に2番、3番をつくろう」と唱えていた。2番は「国民(くにたみ)われら」で始め、国民の繁栄や幸福を願う。3番は「集えるわれら」などとして、日本に住む人々の共生をたたえる。そんな案だ。
「人類の理想を掲げた2番を」と、朝日新聞に投書した読者もいた。載らなかったのは残念だが、もしこんな発想が実っていれば、いまどき国旗国歌をめぐって強制だの処分だのという騒ぎはなかっただろう。

みんなのための国歌を作ろうと考えていた人たちがいた。読売新聞ですら(笑)こんな社説を出していたなんて。なぜこの考えは実を結ばなかったのだろう。君が代の歌詞も曲も嫌悪感しか感じないという人もいるかもしれない。朝日新聞は、それが2番の歌詞であれ、人類の理想を掲げたものであれ、君が代それ自体の存在を認めるような意見は載せたくなかったのかもしれない(でも投書があったことは知ってるんだ)。