メモ

http://www.asahi.com/politics/update/1122/005.html
靖国参拝・原潜問題で応酬 日中首脳、チリで会談


胡主席靖国参拝問題に言及し、「歴史を避けては通れない。適切に対処してほしい。特に来年は反ファシスト勝利60周年の敏感な年だ」と述べたという。

この発言に対して、以下のような反論を見つけました。

http://www.diary.ne.jp/user/31174/
勝谷誠彦の××な日々。


戦前の日本は。軍部による国政の壟断はあったことは認めるのにやぶさかではないが私たちの国家は決してファシズムではなかった。ファシズムの政体においては独裁者が頂点に必用である。大日本帝国において頂点というのは上御一人をおいてない。胡錦濤昭和天皇を独裁者だというのか。

昭和天皇が「独裁者」だったかどうか*1について、認めない人は絶対認めないだろうと思います。それはもういかんともしがたいところです。では、戦前戦中の日本はファシズム国家ではなかったのでしょうか。
天皇ファシズム」という言葉を聞いた記憶があったので、調べてみました。

http://www.tabiken.com/history/doc/G/G248L100.HTM
国家主義運動 こっかしゅぎうんどう


たとえばヒトラー国家社会主義(ナチス)も,広い意味の国家社会主義のなかに含めることができる。したがって国家主義をしいて表すとなると,極端なナショナリズム,もしくはウルトラ=ナショナリズム(超国家主義)となり,ここでは国家主義全体主義と同意義となる。しかしながら,わが国ではファシズムが国民的要素をもつと主張する社会ファシズムの形をとるよりも,天皇ファシズム,あるいは天皇制のファシズム化といわれるように,既存の支配体制を最上の存在として個人をこれに従属させるという方向をとった。このようにわが国の国家主義とヨーロッパのナショナリズムのあいだには,その本質において,かなり顕著な相違がみられ,それが国民主義国粋主義民族主義などと混用される原因になったのである。

なるほど。日本はファシズムではなく、日本独自の天皇ファシズムの国だったわけですね。そりゃ勝谷氏も怒りますね、「天皇ファシスト」をただの「ファシスト」呼ばわりするなんて(違うか)。
それにしても、天皇の権威を用いて独裁的支配体制を敷くというのは、昔からやってることだけど、ある意味誰も責任を取らないシステム*2だなあと思ったりします。
今年の秋の園遊会天皇陛下米長邦雄氏に、学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と話す場面がありましたが、あの発言に対して「今の天皇は左翼教育を受けてああなった」だの「京都へお帰り願おう」だの発言する輩がおりました。こういう輩は天皇の権威*3を利用して個人を支配しようと企む「天皇ファシスト」であると言ってよいのではないでしょうか。

*1:昭和天皇は「勝っている戦争には反対しなかった」と、以前「昭和天皇の戦争責任」という本で読んだ記憶があるのですが…

*2:これはもちろん支配される側も無責任な「お上」だのみであるということも含めて

*3:天皇のそれに限らず力さえあれば小泉でも米国でもなんでもOKみたいです。なんというか「権力の奴隷」ですね。